2005年7月25日月曜日

最後に……


このサイトは、一昨年父が肺ガンに犯されていることがわかったときにまとめ始めたものです。


父の場合発見したときには既に転移が始まっており間質性肺炎を併発していたので手術などの抜本的な治療は不能でした。その時点で余命六ヶ月を宣告されました。


その後、延命のための抗ガン剤投与が父の体質に合っていたようで予想よりもガンの進行を押さえることができました。その後数ヶ月小康状態が続きました。定期的に抗ガン剤投与時入院し、免疫力が回復したところで自宅療養しながら通院。このころは本人も自分で運転して通院するほど元気で、たまに散歩に出てはたばこを吹かしていたようです。梅雨の時期に帰ったときは、まだそんな状態でした。


夏に帰ってみて、愕然としました。

父は体調が優れないとずっと床から離れずにいましたが、立たせてみるともう一人で歩くことがおぼつかない状態です。このままでは母一人大柄の父を動かすこともできなくなると思い、母にもうこれはいよいよなときだと話をしました。状況からして最後の時として入院が必要なのが明白でしたので、いままでそういうのを拒絶していた母を説得してホスピスを見学させてました。結局母が通うのが大変ということで、治療をお願いしていた病院で入院をしました。わたし個人の意見で言えば、緩和治療の面ではホスピスのほうが父にとっては楽であったろうと思います。理性的に考えると、宿泊施設もありそれほど通いが問題になるような状況でもないのですが、後戻りのないそういう施設への入院は母にとってはやはり気持ち的に抵抗があったのでしょう。

今でもこの選択がよかったのかどうかわかりません。


その後、やはりみるみる父は衰弱していき翌週に海外に住む妹が戻ってきた際東京から駆けつけたときには、起きあがることもできなくなっていました。薬のせいもあり意識もかならい混濁しておりました。


一週間後に肺炎を起こしてそのまま亡くなりました。

肺への酸素吸入を行っていましたが、最後は呼吸ができなくなったようでかなり苦しがっていたとのことです。


当初はいろいろと治療法やこれからの症状の推移を調べました。

が、完治不能と宣告された父に対してやってあげられることはわずかでした。

ただ、わたしの場合こういうことを調べることでこれから起こることをある程度予測して心の準備をすることができました。そして、先生の説明を理解し理にかなったものであることも腹に落ちて先生を信頼することができました。本来ならば、父の最後の時に向けてもう少しできることがあったのではないかと思います。しかし、家族、特に年老いたものは古い考えや思いに囚われています。どんなに説いてもことわりでは説得できないものもありました。そして生き残るものの気持ちもやはり大事な気もしました。


いままで非公開にしていましたが、同じような状況の方もいらっしゃるかもしれませんので、非常に断片的な情報ですが公開いたします。